三谷祭

元禄時代から受け継がれる三谷町の産土神、八劔神社と若宮神社の例祭。町内各6区で奉納踊りを行うほか、日曜日にはサラシを巻いた半裸身の氏子達が、4台の絢爛豪華な山車を曳き町内を練り歩いた後、海に曳き入れる迫力満点の「海中渡御」が行われます。
【日時】2014年10月25日(土)26日(日)
【場所】八劔神社・若宮神社・三谷温泉海岸 等


三谷祭の由来

 元禄九年(1696年)八月の或る夜、三谷村の庄屋”佐左衛門”は、不思議な夢を見ました。その夢とは「この郷の産子神である八剱大明神が、村の東辺の若宮八幡(若宮神社)へ渡御なされた。」というもので、まさしく神のお告げであると、早速質素な神輿を設え八剱宮のご神霊を移し、九月九日の重陽の節句を吉日として、神幸の儀式を行いました。これが「三谷祭」の始まりと言われています。

 現存する資料によれば、全村挙げて組織化された祭礼の最も古いものは、正徳二年(1712年)に記録があり、その頃からそれまでの社家中心の祭事から、村全体の行事へと転換されていったものと思われます。その後、村の発展と共に祭りは盛大になり、京都祇園祭の影響を受けたとされる絢爛豪華で雄大な山車を、各区が競って建造し、これを海中に曳き入れて渡り、賑やかな余興を奉納するようになりました。それに伴って、祭の運営の秩序が確立され、厳格な規律のもとに祭礼が執り行われるようになりました。文化文政期(1800年頃)には、今日の規模に劣らぬ祭礼が行われていたことが、記録や諸道具によって判っています。これは、三谷地区の発展のエネルギーの結晶であり、村民の意気と団結を内外に誇示したものと思われます。

 その後も連綿と「天下の奇祭」として受け継がれてきましたが、時代の変遷に伴い、若宮神社前の海岸埋め立てが施行されることになり、伝統の山車の海中渡御は、昭和三十五年の祭礼を最後に姿を消しました。

 その後、山車の海中曳き入れを復活する声が高くなり、若宮神社東の海岸において、平成7年には1台の海中試し曳き、翌8年には4台を曳き入れ復活の途につきました。昭和三十二年三月、蒲郡市は先に有形文化財として四台の山車を指定し、昭和三十六年に神船を加え、さらに昭和四十四年に神輿を指定しました。また、昭和四十四年に「三谷祭」を指定無形民族文化財に指定しました。

 寒さに耐え海中に飛び込む、三谷っ子・三河っ子の意気を示した海中渡御は、形式をかえても、我ら三谷町民は先祖崇拝と郷土愛を心の糧として、古人の残した文化遺産「三谷祭」を誇りを持って受け継いでゆくくことでしょう。


山車のご紹介
上区
三谷町上区 剣山の山車

昭和10年建造
巾360cm
長さ430cm
高さ631cm
だし柱高さ1,120cm








西区
三谷町西区 恵比寿の山車

大正5年建造
巾345cm
長さ355cm
高さ540cm
だし柱高さ1,120cm








北区
三谷町北区 三蓋傘の山車

大正5年建造
大正10年建造
巾346cm
長さ381cm
高さ544cm
だし柱高さ1,125cm








中区
三谷町中区 花山の山車

明治26年建造
巾342cm
長さ393cm
高さ547cm
だし柱高さ1,173cm








東区
三谷町東区 神船若宮丸

寛政2年戌年9月建造
巾110cm
長さ485cm
高さ365cm
だし柱高さ630cm








松区
三谷町松区

御神輿





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