元禄時代から受け継がれる三谷町の産土神、八劔神社と若宮神社の例祭。町内各6区で奉納踊りを行うほか、日曜日にはサラシを巻いた半裸身の氏子達が、4台の絢爛豪華な山車を曳き町内を練り歩いた後、海に曳き入れる迫力満点の「海中渡御」が行われます。
【日時】2013年10月19日(土)20日(日)
【場所】八劔神社・若宮神社・三谷海岸 等
元禄九年(1696年)八月の或る夜、三谷村の庄屋”佐左衛門”は、不思議な夢を見ました。その夢とは「この郷の産子神である八剱大明神が、村の東辺の若宮八幡(若宮神社)へ渡御なされた。」というもので、まさしく神のお告げであると、早速質素な神輿を設え八剱宮のご神霊を移し、九月九日の重陽の節句を吉日として、神幸の儀式を行いました。これが「三谷祭」の始まりと言われています。
現存する資料によれば、全村挙げて組織化された祭礼の最も古いものは、正徳二年(1712年)に記録があり、その頃からそれまでの社家中心の祭事から、村全体の行事へと転換されていったものと思われます。その後、村の発展と共に祭りは盛大になり、京都祇園祭の影響を受けたとされる絢爛豪華で雄大な山車を、各区が競って建造し、これを海中に曳き入れて渡り、賑やかな余興を奉納するようになりました。それに伴って、祭の運営の秩序が確立され、厳格な規律のもとに祭礼が執り行われるようになりました。文化文政期(1800年頃)には、今日の規模に劣らぬ祭礼が行われていたことが、記録や諸道具によって判っています。これは、三谷地区の発展のエネルギーの結晶であり、村民の意気と団結を内外に誇示したものと思われます。
その後も連綿と「天下の奇祭」として受け継がれてきましたが、時代の変遷に伴い、若宮神社前の海岸埋め立てが施行されることになり、伝統の山車の海中渡御は、昭和三十五年の祭礼を最後に姿を消しました。
その後、山車の海中曳き入れを復活する声が高くなり、若宮神社東の海岸において、平成7年には1台の海中試し曳き、翌8年には4台を曳き入れ復活の途につきました。昭和三十二年三月、蒲郡市は先に有形文化財として四台の山車を指定し、昭和三十六年に神船を加え、さらに昭和四十四年に神輿を指定しました。また、昭和四十四年に「三谷祭」を指定無形民族文化財に指定しました。
寒さに耐え海中に飛び込む、三谷っ子・三河っ子の意気を示した海中渡御は、形式をかえても、我ら三谷町民は先祖崇拝と郷土愛を心の糧として、古人の残した文化遺産「三谷祭」を誇りを持って受け継いでゆくくことでしょう。
昭和10年建造
巾360cm
長さ430cm
高さ631cm
だし柱高さ1,120cm
大正5年建造
巾345cm
長さ355cm
高さ540cm
だし柱高さ1,120cm
大正5年建造
大正10年建造
巾346cm
長さ381cm
高さ544cm
だし柱高さ1,125cm
明治26年建造
巾342cm
長さ393cm
高さ547cm
だし柱高さ1,173cm
寛政2年戌年9月建造
巾110cm
長さ485cm
高さ365cm
だし柱高さ630cm
御神輿










